草津温泉から【重監房資料館】へ〜なんとも寂しい道のりでした

草津重監房資料館へ向かう道からの眺め イベント,テーマパーク
療養所からは浅間山が一望です
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何度も訪れたことのある草津温泉。何か目新しい観光施設はないものか〜と地図を眺めていたら見つけたのが

重監房資料館

観光施設と呼ぶにはふさわしくはない、ハンセン病の負の歴史を語り継ぐために建てられた資料館である。

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草津温泉からの道のり

雪がうっすらと積もる草津の高台を、10時半に出発。

草津温泉高台からの眺め

草津温泉街を高台から見下ろす

 

泊まったのは「草津温泉ホテルリゾート」↓

 

スクリバ通りを歩いて行きます。途中浅間山がキレイに見えました。人の足跡はないが、何か動物の足跡がたくさんです。

 

 

すずらん通りにあたったら右折。火葬場入り口をすぎると、建物がなくなります。人もいない、車も滅多に通らない雑木林の中を、一人、トボトボ歩いてゆきます。

と、こんな立て看板!なんか怖いな〜

草津重監房への道、立ち入り禁止の看板

立ち入り禁止の看板がなんか怖い〜

 

さらに20分ほど歩くと、やっと重監房への看板が出てきました。ホッとしました。

 

草津重監房への道、栗生楽泉園入り口の看板

人けもなくなんか寂しげな雰囲気が漂う

国立療養所 栗生楽泉円(くりうらくせいえん)、医師や看護師の募集の看板あり。病院になっているのですね。右の道には入らずに、左にある細い道を進みます。

しばらく歩くと教会があり、そこを抜けると、いきなり視界がひらけました。木がないのでスコーンと眺めが良いです。右手の山が浅間山、キレイでした〜

草津重監房への道。療養所栗生楽泉園

木がないので眺めがとってもいいです

↑ここが、ハンセン病の療養所。立ち入り禁止になっています。薄いピンクの屋根の平家がずらっと並んで建っています。今でもここに住んでいる方がいるのです。

重監房資料館はぜひ見てほしい

草津重監房資料館外観

草津重監房資料館外観

療養所を眺めながら進むと、忽然と近代的な建物が現れます。これが

重監房資料館

草津重監房資料館入り口

重監房資料館入り口

  • 入場無料
  • 個人は予約不要
 

通常期

(4/26〜11/14)

冬期

(11/15〜4/25)

会館時間

9:30-16:30

(最終入館16:00)

10:00-16:00

(最終入館15:30)

休館日

毎週月曜日(祝日の場合は翌日)

国民の祝日の翌日・年末年始

館内調整日

 

団体はホームページから予約が必要。

 

重監房とは?

「重監房」とは、群馬県草津町にある国立療養所栗生楽泉園の敷地内にかつてあった、ハンセン病患者を対象とした懲罰用の建物のこと。正式名称は「特別病室」

しかし、病室とは名ばかりで、実際には治療は行われず、患者に重罰を課すための監房として使われていた。

日本各地にあるハンセン病患者の隔離施設。多くの患者が無理やり療養所へと隔離されたため、頻繁に逃亡反抗があったそうです。その中でも特に犯行的な患者をこの草津にある監房へと収監していました。

草津重監房資料館外観

高い塀は当時の監房を模している

↑重監房資料館外観。高い塀は、当時の監房模している。患者が逃げられないよう、監房は高い塀で囲まれていた。

昭和13年に建設、昭和22年まで使われていた。この9年間に特に反抗的だったハンセン病患者、93名が収監された。

寒い草津で、監房の中に雪が積もり、23名が亡くなったと言われている。ほとんどが凍死だった。

収監された患者の人権は、完全に無視されていました。

 

現在、重監房は林の中に基礎だけが残っています。

 

国立療養所栗生楽泉園には、現在48名の方が暮らしています。

草津栗生楽泉園

静かで寂しげな療養所

 

温泉だけじゃない草津温泉の負の歴史

重監房資料館

群馬県吾妻郡草津町草津白根464−1533

 

資料館のパンフから、感銘を受けた言葉を引用させていただきます。

「病気を忌む」という言葉があります。これは、病気そのものを嫌うことで「病気を患った人を嫌う」ことではありません。しかし「強制隔離」という国の誤った政策によって、ハンセン病を患った人々は、世間からまるで「その人が病気そのもの」であるかのように忌み嫌われるようになってしまいました。「人が人を大切に思う心」人を人と思わない悲劇が再び繰り返されないように、残された負の遺産を後世に伝え、人の命の大切さと人権尊重の精神を語り継ぐことが大切なのではないでしょうか?

 

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