どーも、神社と石碑が大好き♪とんすけです。今日もいにしえを求めて散歩!!
出会った神社仏閣、石碑などを記録してゆくよ〜 😀
今日は、中和倉にある熊野神社
住宅地にこじんまりと佇む熊野神社
祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
日本神話に妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)とともに最初に生まれた十五柱の神様の一柱で、伊邪那美命とともに国を生み・神を生んだ男性神
創建・沿革
元禄15年(1702年)本殿創建
宝歴7年(1757年)鳥居奉納
文化11年(1814年)手洗い鉢 奉納
明治34年(1901年)本殿再建 現親子狛犬 奉納
昭和7年(1932年)拝殿建立
※おこもり堂(祈願でこもるためのお堂で昭和16年にはありました)
昭和57年(1982年)社務所、本殿の改修および境内整備
祭事・行事
1月1日 初詣
10月19日 例大祭 子供山車・神輿渡御を直近の日曜に行う
毎月 おこもり 豊作や無病息災を願い拝殿にて村の婦人が祈願している
随時 初宮参り 子供の出生を祝いその土地の一員となるための儀式
11月15日 七五三 子供の生存を祝う節目の儀式
由緒と中和倉の風景
中和倉には古墳時代の遺跡があります。そして中和倉村は、戦国時代の高城氏が小金城構築の頃から始まったと言われます。江戸時代の初期正保国絵図(1644〜1652年作成)には、水戸街道沿いの中根村から新作村を通って八ケ崎村や千駄堀村に続く文化と生活の往来の村として記されています。元禄年間には、前田川と中津川に挟まれたこの大地を生活の拠点としていた135石の村となり、伊邪那美命を熊野速玉大社(和歌山県新宮市)より勧請(本社の分霊を移して鎮祭すること)して、この地に熊野神社を創建しました。昭和20年代まで、祭礼では参道に登り旗が立ち、獅子舞や夜神楽があり榊の神輿が村を練り歩いていました。
明治5年は戸数19戸、人口113人でした。明治22年(1889年)には千駄堀村、八ケ崎村、栗が沢村、日暮村、金が作村。五香六実村の7村が合併して東葛飾郡髙木村字中和倉となり、昭和18年(1943年)松戸村、馬橋村と合併して松戸市中和倉になりました。現在は、約2000世帯、4000人の町になっています。(平成21年2月) 神社の看板より
熊野神社境内の脇神様
① 手児奈大神
明治9年(1876年)中和倉女講中が奉納。奈良時代に建てられた市川の手児奈霊神堂の「お産」の神様で産土様を祀る。
②一千ヶ寺
文化11年(1814年)
③ 庚申塔
宝歴11年(1761年)人間の体にいる虫が天帝に悪事を報告に行くのを防ぐために青面金剛を祀って行う庚申講を3年18回続けた記念で建てられた石塔。1面3眼6臂(6本のひじ)の青面金剛と悪いことを「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が掘られる。中和倉には他に2塔ある。
㊃ 天満宮
昭和16年(1941年)
⑤ 二十三夜塔
寛永6年(1853年)旧歴の1、5、9、11月の23日に月の出を待って行われた行事に供養で建てた
⓺ 稲荷宮
明和5年(1968年) 穀物・農業の神を祀る。以前は中和倉字稲荷下沖の台地にあった。
⑦ 道祖神
明和5年(1768年) 道祖神とは、村の守り・子孫繁栄を願って村の境界や道の辻、三叉路に祀られた神
⑧ 狛犬
明治34年(1901年)本殿再建時に狛犬が奉納されるまで神社を守っていた狛犬。
⑨ 力石
年代不詳 中和倉村と彫られ、力試しに用いた大小2つの石。江戸時代から明治時代に鍛錬と娯楽として行われた。
⑩ お堂あと
年代不詳 以前の社務所。昭和15年(1940年)の村の青年の入営前の集合写真に鳥居とともに写っている。
中和倉の神様・道標
①、②、③、道標 四国八十八ヶ所大師めぐりの道標
①千駄堀、②新作、③八ヶ崎への案内として設置されている。神社にある③八ヶ崎への道標は新井堤にあった。
④ 馬頭観音塔
馬は農作業の大切なパートナーでした。明治時代の日露戦争(1904〜19 戦地に駆り出され、戦後に日本に帰ってくることはなかった馬の供養として祀られている。以前は村の境にあったが、昭和30年代からの開発でグリーンベルトに移った。
⑤ 弁天様(弁才天)
弘化2年(1845年)庚申塔 享保14年(1729年) 七福神中の唯一の女神様で水の神・お金の神様。以前は馬坂を下った地点に池があり、その池に祀られていた。同じ場所に庚申塔が祀られている。
⓺ 大正記念坂
大正5年(1916年)庚申塔 元文元年(1736年) 村の10人が推進役となって急坂で不便していた馬坂を大正天皇即位記念に寄付を募り短期間で改修した記念の石碑。同じ場所に庚申塔が祀られている。
熊野神社の鳥居は震災で倒壊
熊野神社の鳥居は、宝暦7年(1757年)に中和倉の氏子により奉納されました。
鳥居には以下のように刻まれています
奉献 宝暦7龍舎丁丑九月十九日当村総氏子中
願主 清宮五郎左衛門・後藤久兵衛 石工 松戸宿 平兵□
御賽前 長松山光音密寺見佳實賢叟謹職
平成23年3月11日(2011年)東日本大震災により貫が3つに割れ、額とともに落下してしまいました。奉納された当時の姿を留め、熊野神社を見守っていただくために、本殿の南に柱・根巻き石、拝殿の南に笠木・額束・貫を保存し、先人の熊野神社への思いを残すことにしました。(平成23年5月熊野神社奉賛会)
とんすけの探検を近所の猫が見ていました 😀
とんすけの神社・仏閣、石碑巡り〜〜ご覧いただき〜〜ありがとうございました!
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