千葉県成田市に鎮座する麻賀多神社。
成田市台方にある麻賀多神社は、日月神示が降りてきた場所として有名で、台方麻賀多神社に参拝する人は多いです。が、元々は成田市船形にある麻賀多神社奥宮が始まりです。
この記事では、
- 奥宮である船形朝賀多神社
- 本宮とされる台方麻賀多神社
麻賀多神社は本宮と奥宮の両詣りがおすすめ

両詣りは関東の伊勢参りと同じ?
両参りは「関東の伊勢参り』?
外宮(台方麻賀多神社本宮)⇄ 内宮(船形麻賀多神社奥宮)
台方と船形、両方の麻賀多神社をお参りする事は、昔から「関東の伊勢参り」と呼ばれているそうです。
奥宮(船形麻賀多神社)の御祭神、稚日霊命(わくひるめのみこと)は天照大御神の妹神またはご自身の幼名とされています。
伊勢神宮に例えると「内宮」に当たるわけです。
本宮(台方麻賀多神社)の御祭神は、稚産霊命(わくむすびのみこと)は豊受大神の母神であるので「外宮」に当たられます。

だから両参りしましょう、とのことだ
本宮と奥宮は徒歩で20分ほどの里山ハイキング

のどかな里山ハイキングだよ
台方麻賀多神社から船形麻賀多神社への道のり
●徒歩コース
- 距離:1.4キロ
- 早足で15分、普通に歩いて20分
●車コース
- 距離:3.5キロ
- カーナビは「くすのき幼稚園」に設定。神社のすぐ隣に無料駐車場あり。
船形と台方の麻賀多神社の関係について

船形と台方の関係とは?
①古事記中巻、先代旧事本紀国造による時代
第12代景行天皇(西暦111年頃)
日本武尊が東征のおり、尊は印旛沼から上陸して千座山(現在の地。成田市船形字手黒)の大杉に鏡を掛け、7つの玉を埋め、伊勢を遥拝して天照大御神に東国の平定を祈願された。
これが起源とされ、以降、鏡は印波国魂おきつ鏡として崇められ、人々が五穀豊穣を祈願するところとなった。
②大和朝廷国造の地方統治の時代(大和時代初期〜中期)
第15代応神天皇(西暦258年頃)
初代印波の国造伊都許利命(いつこりのみこと)が、この鏡を祀るお宮を創建された。これが現在の船形麻賀多神社。
命は御祭神に、稚日霊命(わくひるめのみこと)を迎えし、天稚日霊大神(あめのわくひるめのおおかみ)としてお祀りし、お宮を真賀多真(まがたま)大神宮と名付けられた。
命は神の啓示を受け、大杉の根元から7つの玉を掘り出し、玉をお祀りし、稚産霊命(わくむすびのみこと)を御祭神としてお迎えになられた。
ここに、稚日霊命と稚産霊命の二神が祀られることになった。

この大杉の根元に7つの玉があったのかな?

本殿裏に聳え立つ御神木
第33代推古天皇(西暦570年頃)
創建後約250年経過した頃、時の印波国造・広鋤手黒彦が、二神のうちの稚産霊命を台方字あわ山におうつしになられ、台方を本宮の地と定め、社名も真賀多真大神と改められた。
これ以降、分祠した台方のお社を大宮殿、それまでの船形のお社を澳津宮(奥宮)と呼ぶようになる。
③律令時代、醍醐天皇の時代(平安時代初期)
全国の著名な神社を収載した延喜式神名帳の国幣小社に台方と船形の二社が登録された。(全国2861社)
これが「延喜式内社」で神社の格式の高さを表すものとも言われ、下総国では香取神宮や寒川神社などの11社の登録にとどまり、印旛郡では麻賀多神社のみである。
その際、社名の真賀多真大神が皇室の3種の神器、八尺瓊の勾玉と同音であることに畏み、麻賀多神社(まがたのかみやしろ)と改名した。
(以上は船形麻賀多神社宮司太田様の書かれたチラシを参照しました)
船形の麻賀多神社とは

つまり船形が先にできたお宮なんですね。これはお参りせねば

台方の麻賀多神社とは?
ここをお参りした後、日月神示が降りてきたという天日津久神社

昔は木造だったよ
船形と台方の麻賀多神社まとめ
千葉県成田市や印旛郡あたりは、麻賀多神社と名乗る神社はたくさんあるのです。
最初、とんすけもどこが日月神示の舞台となった麻賀多神社か迷いました。
船形の麻賀多神社が総社だったのですね。
両者の関係がわかってスッキリしました。
最近では、船形の麻賀多神社ではパワーグッツや御朱印など販売しています。ぜひお立ち寄りくださいな。

おみくじもあるよ


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